『細目論(ほそめろん)』

2017-02-11

 『細目論(ほそめろん)』という言葉を聞いたことがあるだろうか。おそらく無いだろう。なぜならこれは、僕がたったいま生み出した造語だからである。

 『細目論』とは、読んで字のごとく、「細い目」もしくは「目が細いこと」についての見解のことである。ではなぜこのようなことについて論じようと思ったのか?きっかけは、3日前にサイトの問合せフォームに届いた一通のメールに始まる。

from 問合せフォーム
👩🏻‍🎨
PN: もす さん
佐々木さん、いつも楽しくツイッターやブログを拝見してます、ありがとうございます!
さて、佐々木さんはよくご自分のことを目が細いとおっしゃってますが、わたしもめっちゃ目が細いです。ちなみにこのブログを紹介してくれた高校時代の友達も目が細いです。(ちなみに今大学2回生です)
もしやこのブログの読者は目が細い人が多いのでは、佐々木さんに勇気をもらってるのでは…?など勝手に思っています。
しかしどんなにアイプチやアイラインやマツエクなどをしても、やっぱり元の顔は変えられません。
そこで、目が細くとも毎日楽しそうでいつも前向きな佐々木さんに、目が細い人向けのどうやってモチベをあげていけたらいいか、ぜひ教えをこいたいと思いましてメールを送りました。
(以下略)

 あなたはこの「もす」さんのメールを読んで、何か感じたことはあるだろうか。僕は2つある。

わたしもめっちゃ目が細いです。ちなみにこのブログを紹介してくれた高校時代の友達も目が細いです。(ちなみに今大学2回生です)
もしやこのブログの読者は目が細い人が多いのでは、佐々木さんに勇気をもらってるのでは…?など勝手に思っています。

 まずこちらだが、「佐々木・自分・友人」というサンプル数わずか3人で「このブログの読者は目が細い人が多い」というロジックは、やや大胆でダイナミックすぎる。僕のブログの読者の読んでいる理由が、本当は内容ではなく「書いている人が、私のように目が細いのに頑張っているから」だったら複雑な気持ちになる。少なくとも「えっ、そうだったの?!」とは言うと思う。

 しかしこれについては、100歩譲ってまあいいとしよう。なぜなら僕のブログの読者が本当に目が細い人ばかりな可能性もゼロではないからだ。

 問題はこちらである。

そこで、目が細くとも毎日楽しそうでいつも前向きな佐々木さんに、

 一見普通の文章に見えるが、よく考えるとなかなかハードコアな論理である。確かに、僕は目は細い。たまに女子などには「いや、奥二重(おくぶたえ)だよ」と言うこともあるが、本当は正真正銘の一重(ひとえ)、「ピュア一重」の瞼である。それくらい細い。しかし、それほど「致命傷」だとも思っていなかった。なぜなら特に目が細いことによって迫害を受けたりしたことが無かったからである。ただ、「目が細いのに人生楽しそう」とまで言われてしまうと、まるで自分が「目が細いくせにのうのうと暮らしているアホで恥知らずの男」のように思えてきて、急に不安になってきて、危うくアイプチを買いそうにまでなった。

 よって今日はこの件について取り上げざるを得ないと思い、「目が細くても楽しく生きる方法」を、『細目論』として語ることにした。

1.「細くない」と思い込む(自分の目は自分は見えないから)

 まず、自分の目の形や大きさは自分では分からない。よってどんなに細くても、普段は気にならない。また、これは「細目族(ほそめぞく)」の方であれば特に分かると思うが、鏡を見てもそこまで「うわっ、自分の目、細いなあ…」とは思わない。なぜなら、人間は(特に細目族は、)鏡を見るときに無意識に目を少し見開いてしまうからだ。したがって鏡を見てもそれほど気にならない。よって、シンプルではあるが1つ目の回答としては、「『細くない』と思い込む」である。ただ、これが適用できない場面もある。それは、「ふいに撮られた写真」である。

 細目族の多くは、バーベキュー会の後にLINEグループやFacebookにアップされた写真を見て絶望…、いや、「再認」する。「え…?私の目…、細すぎない…?」

 細目族は言う。「うわ、この写真の私、めっちゃ目細くない?(笑)」。しかし友人はこう答える。「いや、いつもと同じじゃん(笑)」

 そして細目族はまた絶望し、自分の普段の目の細さ、つまり「ノーマル状態」を改めて知ることになる。

 これを回避するためには、やはり普段から目を大きく開いておく必要がある。しかしずっと見開いているのは疲れるし、何より常に目を見開いている人は単純に怖い。

 よっておすすめなのが、「瞼の筋肉に負荷がかからない絶妙なパワーで見開き、その状態で生きる」である。これにより、「めちゃめちゃ細い人」から、「まあまあ細い人」くらいまでには他者からの認識を引き上げることができるではないかと思う。

2.自分がイケメンとされる時代が来るのをじっと待つ

 普通、「かっこよくなりたい」とか「かわいくなりたい」と思ったら、イケメンや美女になるための努力をするだろう。しかし僕は違う。僕はイケメンになる努力をするのではなく、時代が僕をイケメンと見なすのを静かに待つという徳川家康的なスタンスを取っている。

 僕は男なので男性の話になってしまうが、世の中には2種類のイケメンがいると思っている。それは、時代に関係なくずっとイケメンと呼ばれ続ける「オールタイム・イケメン」と、その時代の流行のスタイルにより、一時的にイケメンと見なされる「ワンタイム・イケメン」だ。

 前者の「オールタイム・イケメン」は、これはほぼ先天的なものであり、なろうと思ってもそう簡単になれるものではない。しかし後者の「ワンタイム・イケメン」はどうだろうか。これはまだ希望の余地がある(多分これにはサイクルのようなものがあると思っている)。

 よって細目族の僕はこれを狙う。ただ、方法は無い。できるのは「じっと待つ」、ただそれだけである。

 だからこそ僕は、羽生君や星野源には「頑張ってくれ」と心から応援している。彼らが活躍すればするほど、「目が細い男性=イケメン」という価値観が国民に形成されていき、その「余波」により自分もイケメンと見なされる可能性がぐっと高まるからである(先日のブログでも書いたが、星野源がこれほどまでに大活躍している今のこの状況は、個人的には「来てるな…」という認識であると言っても過言ではない)。

 よって投稿者の「もす」さんも、目が細い女性が美女と見なされる時が来るのをじっと待ち、ひとたび目が細い女優やモデルがドラマやCMに出たら周りの人に「ねえこの人、超美人じゃない?」と言い回り、「目が細い=美女」という価値観を植え付ける生活を送るのが良いのではないかと思う。

 以上が僕の『細目論』である。つい当事者として長々と書いてしまったが、どれだけ熱く語っても僕の顔に表れることはない。いや、表れているようには「見えない」。なぜか?なぜならそれは、僕の目が細いからである。(完)

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